キャンティワイン物語Ⅰ みやた編 

 

キャンティワイン結成は、1973年、私がまだうら若き乙女の19歳!
中学、高校とバレーボール部一筋!苦しくったって!悲しくったて!
コートの中では平気なの!と白球をおっていたスポーツウーマンの
私がなぜ、バンド結成!

高3になって部活を引退!そして、親友にボーイフレンドを取られちゃう
という<切なくて、悲しく10㌔も痩せてしまった私を心配してくれて、
南高で同窓生のハヤカワが、ハマジャンに誘ってくれたのでした。


ハヤカワに誘ってもらいハマジャンに入った事は記憶していましたが、私を元気
つけようと心配してくれていたハヤカワの友達想いの優しさを私は、つい最近、
岩間でのConcertの後の打上げの席で、同じ頃ハマジャンに入ったバレー部の友人
みさこの話で知ったのでした!ありがとう!ハヤカワ!40年も貴女の優しい想いに
気づかないで!心から、感謝してます。
ハマジャンは、私の楽園でした!以前、掲示板にも書きましたが、南高の傍に
村松さんの家があり、親戚の家のように皆で遊びに行って、ご飯ご馳走してもらったり
お泊りして、村松さんのギターで加山雄三の歌やその頃流行った歌を歌ったり、
ギターを教えてもらったり、合宿みたいで楽しかったね!
その頃、村松さんは、shimaを結成していて、オリジナルの楽曲に私は憧れていました!
榛名湖?に合宿に行きました!

私は只、心から笑える楽しい仲間と大きな声でハーモニーをつけて皆でスイングするのに
魅力を感じ、心から、自然の中で、音楽もいいなあ!と満喫していました!
そんな時、恵子&ちーぼーの 我がキャンティのリーダーの恵子ちゃんが私に話かけてくれました!
「一緒にバンド組まない?」
「えっ!私、ギター弾けないし、歌も上手くないし‥‥」
「ギターは弾けなくても平気!
 みやたには、ウッドベース弾いてもらいたいんだ!」
「ウッドベース?」
「大丈夫!私が、教えてあげる!やってみようよ!
 みやたと一緒に女の子だけのバンド作りたいんだ!」と
それはそれは、優しく魅力的に、私は、恵子ちゃんの魔法にかかってしまいました。

偉大なМG4の事は、知る由もない私は、多分村松さんが、飯鉢さんに声をかけてくださり
な、なんと、ウッドベースをさわった事もない私が、МG4のウッドベースを譲り受けて
キャンティワイン(まだ、その時はバンドの名前は決っていませんでした)のベースウーマンになったのでした!
              つづく
けいこちゃん、みっちゃん、愛ちゃん、ようこ、続きをお願い致します。



キャンティワイン物語Ⅱ みやた編

 
キャンティの結成時のメンバーは、ミッチャン(私の知ってるミッチャンはセブンオクロックと
言うPPMのコピーバンドで洋服のセンス抜群!スタイル抜群!ギターのセンス抜群でした!今も!)
愛ちゃん(ハマジャンのマドンナ的存在でご主人の斉藤さんが初めて逢った時、キラキラ輝いていたそうで綺麗だったなぁ!今も!)
と言う訳で、恵子ちゃんとミッチャンがキャンティの音楽担当!愛ちゃんがビジュアル担当!
私がMCでお笑い担当!自然に決まりました!
バンド名はミッチャンのボーイフレンドが山下公園の傍の
イタリアンレストランの店長さんで、そのお店で棚に並んでいたワインの中で一番ビビッときた
キャンティワイン が『私の名前つけて~!』って囁いた気がして、決めました!
そうだったよね!みんな(^O^)v
初めて挑戦した楽曲はキングストントリオの♪エルマタドール グリーンバックダラ♪小椋圭の 子供らの明日だったよね!
私はウッドベース教本を買って、恵子ちゃんの優しく&厳しいレッスンを受けました(;O;)
恵子ちゃんはベースなんてまるで素人の私に、かっこ良くて上手そうに弾き、歌うコツを伝授してくれました!
自分で言うのも何ですが、まるで、ど素人の私をステージの上ではカッコ良いベースウーマンに変身させてくれました\(^O^)
恵子ちゃんの人を育てる才能は抜群です!
音楽センスも抜群だから、決してコピーバンドではなく、その証拠にキングストンのレコードは聴かせてもらえませんでした!
だから、どの楽曲もキャンティバージョンになりました!
伸び伸び楽しく歌う楽しさを恵子ちゃんに、教えて貰いました!

デビューは金沢公会堂でのジュニアコンサート!!
同期にシンギングベルズがいます!可愛い少年達だったなぁ!でも魅力的なバンドでした!

今回はこの辺で!
キャンティの皆!続きをお願いしま~す。

 

 

 

キャンティワイン物語Ⅲ keiko編

今思えばそれは・・・

(keiko)の幼なじみ都古チャンからの見えない糸に導かれていたのかもしれない。
私(keiko)は同窓会に出かけるといったことはなかった。
しかし、中学三年の春はなぜか小学校の同窓会にふらりと、出かけていった。それは、私(keiko)にとって、これまでで最初で最後の同窓会となることになるのだが・・・
同窓会が終わると音楽好きだった私(keiko)は幼稚園から小学校まで一緒だった都古チャンに誘われるままに、アマチュアコンサートにでかけた。楽しい時間が流れた。

中高一貫の女子ばかりの学校だった私の高校の文化際などでは、その当時有名なフォークソングのプロを招待し、高校の先輩などもバンドを組み文化際で披露していた。(それが今思うとグリーンフィールズだったらしい)その時、私もバンド(ギターの音色に魅せられていた)をやってみたいと思った。
他のフォークソングのサークルなどに席を置き高校の仲間と4人でバンドを組んだり、二人でのバンド(ケイコ&チーボ)を組むが、バンド仲間の結婚などで結成しては、消えていった。
女子校だった我校では、ハマフォークのMGが大人気で、周りにはファンが多かった。
バンド解散で歌う仲間を失った私は、そのハマフォーク(私の中では中学三年春見に行ったコンサートとは結びついていなっかった)とやらに、入ってみようと思った。

ハマフォークに入ると、私にとって今まで出逢ったことのないような自由で明るく個性的な人が集まっていた。皆自分の思いを自由に言葉だけではなく動きや、笑い声などで、表現しているように感じた。私の目的・・・バンドメンバーをさがしたい。一番大切なこと、やってみたいという思いがあること。バンドセンスとギターやバンジョーが弾ける女性(みっちゃん)、バンドをやりたいと熱い思いを語ってくる女性(愛ちゃん)、存在そのものが人を引き付ける楽しいキャラをもった明るい女性、(私がハンティングした宮田)私の五感にビリビリと伝わってきた。
この自慢のメンバーでバンドをやろう。

これがキャンティ恵子の結成当時の思いです。

                                                         
つづく

 

 

キャンティワイン物語Ⅳ aiko編

 

今は懐かしき青春時代・・・。

高校の友人5人で、スタッフとしてハマフォークに入会した私は、憧れだった 
ラブリーメンや MG4 先輩方のコンサートに関われる事で 心おどらせていました。

オープニング・エンディングのシングアウト練習。
ゲストバンドだったジローズのバックで歌った「手作り赤いミニスカートのハマフォークシンガーズ!?」
み~んな楽しかったなぁ。
そして、高校を卒業した1972年に
 しま が結成されました。
その練習を何度か見学している時  あーーっ私もバンドがやりたいな~
そこで頭に浮かんだのが、keikoちゃんが他のフォークサークルで女性4人で歌っていた「エルマタドール」
・・・これ歌いたい。本物のキングストンよりかっこ良いジャン

そんな気持ちに合わせた様に、参加した合宿で小耳にはさんだ キャンティワイン結成情報・・・(う~んこれは行くっきゃないぞ)
まーぜて キャンティに入れて ギター弾けないけど歌もへただけど絶対入れて
と、なかば無理やりのaikoキャンティへの参加でした。

以上 押しかけaikoキャンティ入り編でした。

                                        つづく

                                    

キャンティワイン物語番外編 mitsue

 

今は懐かしき青春時代・・・。

最初のギターデビューは、というと中学3年生の時に文化祭で歌った
うみ~はすてきだなぁ~~ ♪♪  「海は恋してる」
兄の影響でギターを始めたのが中学生だったと思います。

高校に入ってからは、校内で女子だけでバンドを組んだり、近くの高校生と
男女混合で赤い鳥のコピーバンドを組んだり(ニッポン放送のオーディションを受けたりもしたなぁ)。。
でも高校時代の一番のバンドは7 O'Clock NewsというPPMのコピーバンドでした。学校の近くの
大学に文化祭を見にいった時に知り合った大学生のお兄さんバンドにひょんなことから参加する事になり、
低い声なんか殆どでなかった私がしかもギターも弾かずに…
今思えばなんという大胆なバンド活動でした。高校3年生の時は授業もそっちのけで、
殆ど音楽活動で、あっちこっちのコンサートに出まくってました。本当に楽しかったなぁ。懐かしいなぁ。

ハマフォークのコンサートにも兄の関係で何回か足をはこんでました。
MG4やラブリーメンや沢山のバンドの中で私が心に残ったのは金校出身?
だったと思いますがジョーリージョー。女子だけのかっこ良いバンドでした(いつかこんなバンドやりたいなぁ)。

キャンティ結成までにはたどりつけませんでしたので、番外編でした。

 

 

キャンティワイン物語Ⅴ みやた編

 

キャンティ 楽しい出来事& 寿メンバーチェンジ編
忘れられない想い出は、リヤカ-にベースを乗せて青空の下で近くの公園で練習した事で~す。

山下公園で練習した時は、叔父さんがお金を木に挟んでくれたよね!
今でこそ路上ライヴが流行っていますが、丁重に返しちゃったね
近くのお店のオーナーが『うちで演奏してよ!』と誘ってくれました!が
お酒を出すお店だったので断ったけど惜しかっね!ミッチャン 今なら二つ返事で で~す。
ジョイナスのコンテストに出て三位入賞 準優勝は Shimaでした
Guest
はダウンタウンブギウギバンド 港のようこヨコハマヨコスカ~
NHK
FMヨコハマにでたり、ライオンズクラブのパーティーに出演したり、楽しかったねぇ。

そんな時 愛ちゃんが運命の斉藤さんと結婚 寿 脱退
恵子ちゃんの目に叶った新メンバーは、なんと愛ちゃんの妹洋子 運命的なメンバーチェンジ!で
キャンティ黄金時代に突入しました。

さぁ 洋子ちゃん、出番ですよ~。

・・・つづく

 

 

キャンテイワイン物語 メンバーチェンジ編 みやた

 

新メンバーのようこは、愛ちゃんの妹なので勿論可愛くって、素直!
その上に、ギター! ピアノ! 鉄筋!は弾けるし、高音パートはバッチリ
音楽的才能と前向きさは、ピカ1で、キャンティのレパートリーは素敵にふえて行きました。

ようこが、メンバーの時の一番の私の想い出は、県民ホールでの第32回Concertかな?
ステージから見える客席は、まるでビルの下から見上げたような凄さで圧巻!ランスルーの時こんなステージで歌えるんだと思ったらドキドキなんか吹っ飛んで、感激とワクワクが、押し寄せて来た事を記憶していま~す。

ライブレコードも作ったよね!上手くライブで録音撮れなかったバンドは、上大岡のスタジオで録音し たよね!
一人ずつブースに入って、ヘッドフォンして楽器ひとつずつと歌と別々にドキドキしながら録音したの覚えています!
キャンティは、♪貝殻節♪ハシャッバイ♪黒の舟歌を歌いました。

今思うと、私は、バンドで出て、チケット売って、楽しんだけど、その頃の会長さんはじめスタッフは、会場取ったり、企画準備と本当に大変だったと思います!みんな!ありがとう!
楽しい想い出の後ろには、苦労して汗流して、自分の事より、皆のために、動いてくれた人が、たくさん、たくさんいたんだと、今頃になって、感激しています。
本当に、ハマジャンに巡りあって、キャンテイの仲間に巡りあって幸せでした!いえいえ、今もすっと幸せが続いていま~す。
                    ‥‥つづく